リアル型恋愛シミュレーションの闇
ネット婚活はリアル型恋愛シミュレーションゲームである。
結婚したくてするのが婚活なのに、なのになんでゲームなんだと言うなかれ。恐ろしいことにネット婚活とは、恋愛シミュレーションゲームのシステムが丸々取り入れられているのだ。
恋愛シミュレーションゲーム――男性版ではギャルゲー、女性版では乙女ゲームなどと呼んだりするが、この際名前はどうでもいい。どちらも内容はほぼ同じ、複数名の異性と会話やイベントを通して好感度を上げ、お気に入りキャラとのハッピーエンドを目指すゲームである。
リアル型ゲームと言えば、リアル型脱出ゲームやサバゲーなどが有名であるが、その阿形と思ってもらってほぼ間違いない。ただ、ネット婚活においてはゲームを終えた時から生涯のリアルが始まる、というだけだ。
婚活ゲームの流れとして、まずはプロフィールを作成する。顔写真に年齢、年収、趣味に自己PR。いわば自分のデフォルトステータスをそろえるというわけだ。それからメールによる遣り取り。これが一番厄介で、プレーヤーは選択肢のない自由筆記型の会話をさせられることになる。恋愛ゲームの時はあった選択肢がない。何を選んでいいかわからない。攻略本ももちろんない。とはいえ、ネットを漁ればいい感じの文は出てくるけどな。そして、イベントという名のデート(婚活用語では面接というらしい。なるほどうまいことをいうものだ!)。これらをうまくクリアすれば、結婚というゴールが待っている、というわけだ。
だが、ここにいくつかの問題がある。
今回は女性側を分析することにしよう。
恋はゲームなんて言うけれど、それは現実世界で恋がゲームになるくらい身近にあふれている場合だけであって、そもそもそんな人間はネット婚活に現れたりはしない。
ネット婚活に手を染めている時点で合コンや街コン、お見合いパーティーというリアルから逃げてきた人間であるということ、ことに学生時代は恋愛カーストの最下層に位置していたことに着目してもらいたい。
つまり、ネット婚活に現れるような人間は、現実世界での恋愛敗者――モテたことなんてない輩ばかりということだ。
そんな女性たちがネット婚活に登録したと同時に、何十人という男性からメールをもらう生活に一変するのである。年齢や顔写真の有無、使用するサイトによっても数はそれぞれだろうが、それでも片手で収まるような数ではない。
「綺麗ですね」
「やさしそうな人だと思いました」
「アイドルの○○さんに似ていますね」
なわけねーだろ。鏡見てみろよ。
でも、それが繰り返されれば。日常の出来事になってしまえば。
恐ろしいくらい、人は勘違いしてしまうのである。信じられないくらい、ちやほやされる。相手も崖っぷちだから、返信すればある程度は返ってくる。デートにだって、今までにないくらい簡単にこじつけられる。
これがネット婚活の闇なのだ。
リアル型恋愛シミュレーションゲームの最終目的は、もちろん結婚である。
だが、時に彼女たちは忘れてしまう。あくまで結婚という餌があるから、ここでは自分に群がってもらえるということを。結婚をする気のない彼女たちに何の価値もないことを。
そして、自分が一刻も早く結婚しなければならない崖っぷちの女であるということを。
だというのに、彼女たちはネット婚活をだらだらと続けてしまう。続ければ続けるほど、止められない罠にはまっていく。
もっといい人が現れるかもしれない? この相手に自分は勿体ない?
そんな理由じゃあ、ないでしょう?
答えは1つ。 アイドルは、やめられない。
一度味わった快感を、人は簡単には捨てられない。しばらく同じサイトにいれば、申込みしてくる異性はおのずと減ってくる。ネットは広い、この世界にはもっと他にいい人がいるかもしれない。そんな薄っぺらい戯言を吐きながら、彼女たちがとる行動はただ一つ――次の婚活サイトへと移動するのだ。運命の一人ではなく、数多の男に承認されるために。
もともと自分が恋愛カーストの最下層だったことも忘れて。
何かを餌にして人を集めるという行為は、昔からどこでだって行われている。売れなくなったアイドルは水着に着替え、カメコに見向きもされなくなったコスプレイヤーは露出を増やす。ただ、肌を見せることで需要がある限り、彼女たちはまだ大丈夫。
さあ、結婚と君の生涯に価値があるのはいったいいつまでかな?
喪男メンタルの女たち
独女にも仮性と真性があるとはじめに言ったが、これは喪女にも言えることなのをご存じだろうか。
喪女とは一般にモテない女の自虐的呼び名なのだが、喪女にも通常の喪女と喪男メンタルの喪女がいるのである。
喪男メンタルの簡単な見分け方は、チャラ男を褒めた時の反応でわかる。
やり方は簡単。まず、笑い話みたいな軽いノリで適当にチャラを褒めるのだ。
「チャラ男って、なんだかんだで話が面白いしやさしいんだよね~」
「は? チャラ男? チャラ男って女の敵でしょ? てか、存在がゴミそのものでしょ?」
こんな感じで瞬発的に憤ってきたら間違いない。その女は喪男メンタルの持ち主だ。
ただし、本物の喪男がその場にいると、大概最初にそっちが憤慨するので判定があやふやになってしまうから気をつけろ。そこそこモテそうな女子数人といるときにうまく切り出せれば最高だ。まあ、そんなことできるくらいなら、こんなもの読んでないだろうけど。
正直私には理解しがたいのだが、女子という生き物はなんだかんだいってチャラ男が好きだ。チャラ男というか、女子全般に優しい男。それもイケメンならなおよし。
「毎回笑顔で声かけられたら、好きになっちゃいますよね~」
だ、そうだ。さっぱりわからん!
そう、喪男メンタルの女子は一般の女子と感覚が全くと言っていいほど違う。それがイケメンだろうがボンボンだろうが、とにかくチャラチャラした時点ですべてがアウト。全否定の存在になるのである。
なぜなら、そいつらは間違いなく喪男の敵。え、性別違うじゃんとか言うなかれ。メンタルが同じ時点で、もはや性別などどうだっていい。お互い理想はたった一つ。喪男にとってモテるに値する男は、一途で不器用な男なのだから!
メンタルを読み間違えて、モテなそうな女だからこういうの喜ぶだろうと頭ぽんぽんとか、壁ドンなんかやった日には、容赦なく手を振り払われるか最悪鳩尾に一発を覚悟せねばならないと思え。喪男メンタルの喪女が好感を抱くのは誠実さと素朴さ、ただそれだけ。そう、恋愛カースト最下位として生きていた喪男の、今まで手にしたことのないアドバンテージがここにある。
喪男メンタルの女子を好きになってしまったら、いわゆるモテテクは通用しない。むしろ逆効果だ。そんな遠周りで慣れないことはせずに、誠実さと素朴さをむき出しに全身でぶつかってみることを私は激しくお勧めする。
とりあえず、名刺とか身分証明できるものでも差し出して、「僕は一生浮気しません。結婚を前提に付き合ってください」とでも言って全身全霊で頭を下げろ。少なくとも、一度くらいはごはんにつきあってもらえるはずだ。
ただし、見極めを誤ったところで私は責任持てないけどな!
結婚したいなら女子会を減らせはたぶん正しい。
男が来ないんだから、女子会には行くな。なんてよく言われるけれど、それはたぶん間違っている。女子会の恐ろしいところは男がいないことじゃない、独女がいることだ。
女子会にもいくつか種類がある。大雑把にメンバー構成だけを見ても、既婚者とだけ、既婚者と独女の混合、そして、独女だけ。だが、一見種類があるように見えても、三十代も半ばになるころには独女だけの割合が圧倒的に多くなる。てか、自由な時間とお金のある独女との女子会しかほぼなくなると言った方が正しい。あとは年に1回開かれるか開かれないかの同窓会だ。
独女だけの女子会――そう、それこそが最大の問題なのだ。アラサーも終わろうとしている独女が何人か集まれば、そこには必ず真性独女がいる。
基本的に仮性独女はお人好しである。ふんわりである。つまり、どこまでも流されやすく影響されやすい生き物なのだ。
そして、そんな仮性独女の前に現れる真性独女。バリキャリで世界を飛び回っているあの子は誰かに支えてもらおうなんて甘えは全くなく、幅広い趣味を持つ彼女は趣味でマンションが買えたわなんて笑い飛ばしながら自由がなくなる結婚なんて一度も考えたことがない。
常に惑うことなく、確固たるアイデンティティをお持ちの真性独女たち。そんな彼女たちは、とてつもなくかっこいいのだ!
そんな素敵な彼女たちを間近で見てしまえば、ふんわりな仮性独女は影響せざるを得ない。テレビでもネットを通してでもない、目の前で語られる英雄忌憚。彼女たちはモデルでもなんでもない一般人だ。だからこそ、いつか自分もこんな女として堂々と生きれる日が来るんじゃないかしら、なんてまことしやかに考えてしまう(大概がほぼ同い年であるにもかかわらず、だ!)。
そう、仮性独女にとって女子会が恐ろしいのは空間に男がいないことじゃない。カッコよすぎる女がいることだ。
だから、結婚したいなら女子会を減らせはたぶん正しい。
とはいえ、私がそう叫んだところで何の実証にもならないけどね!
問題じゃなくなってしまうかもしれない問題
こんにちは、仮性独女の雑賀です。
周りがそれなりに結婚や婚活をしている中、どうして私がこの年まで婚活を実行に移そうと思わなかったのか。
ひたすら考えてみたところ、2つの恐怖があるのではという結論に達しました。
まず1つめは、婚活したらサクッと結婚してしまうのではないかという恐怖。
意味わかんねえよ! とか言わないで下さい。婚活して結婚できたんならそれで万々歳だろうが! と世間の人は口をそろえて言うと思うけど、こっちにとってはそうでもない。
そもそもね、この年まで独身を引っ張ってると、未婚はもはや一つのアイデンティティになってくるわけですよ。負け犬とかこじらせ女子とか未婚のプロとか。マスコミやら社会学者たちが、我々にそれはもういろんな名前をつけてくれるわけです。ありがとう! 誰も頼んでないけど!
ここまで盛り上げ、クライマックスまで引っ張りまくっておいて(クライマックスがどこにあるのかは知りませんが)、特に世界を変えるような大恋愛もなく簡単に結婚できてしまうのが怖い。
もちろん背後には、自分ならちゃんと活動すれば、たぶん結婚できるだろうという自負もあるわけですが。他人に聞かせたら、なんてずうずうしいと罵られるであろうことはもちろん自覚してますけどね。
そして2つ目は、それこそ失敗する方の恐怖。
普通はたぶん、こちらが先に立つ方が多いのかもしれません。私ももちろんですが、大概の女性たちが世間からの承認欲求から逃れられない。恋愛および結婚市場で自分が本当に必要とされていないことを、実感するのが怖いんですね。まあ、年齢的に必要とされていないゾーンに自分がいることはわかっているんですよ。それでも、実際にそれを目の当たりにするのは怖い。いつまでも若いと思い続けている、思っていないと立っていられない自分がいる。
さっきまでのずうずうしさはどこいったんだよ、と言われるのかもしれません。でも、人の心は揺らぐもの。自分をどこまでも信じながら、どこかで信じられない自分がいる。矛盾した存在なんです。
だから、いろんなことを仮性独女は決められない。
「やったらいけると思うのよ。でもねえ・・・」
そんなことをつぶやき続けて、一年、二年と気づけば年をとっていく。
そんな感じでふんわりしつつ、結構たくさんの独女たちが二つの恐怖に揺られながら年を重ねていくんじゃないかしら。なんて私は考えるわけです。
自分の市場価値なんか知るもんか! 私は必ず結婚する! 私、間違ってない!
そんなふうに自分を絶対肯定して、倒れるときは前のめりに生きていける女性はきっとそんなに多くない。
しかし、そんな話を私が真性独女と考える愛すべき親友にいたしたところ。
「理由が全部、自分がカッコよくなくなったらどうしようという心配なのがウケた!」
・・・あ、本当だ!
はじめに
はじめまして、雑賀壱です。
いわゆる都会の独女です。
35歳を目前に控え、ふと思ったんですよ。
あれ、結婚してねえなって。というか、正直そんなイベントを彷彿させるような出来事、一回もなかったなって。
だけどここで、一つの事実に注目したいと思うわけです。
最近の世間では、9割近くが恋愛結婚しているという事実。つまり、恋愛できないやつはほぼ結婚できないという事実。1960年代には半数がお見合い結婚をしてたっていうのに、いまやそれは1割以下という不測の事態に陥っている。
そりゃ、結婚できない人間が巷にあふれるわ。
だいたい、うちは親も祖父母も全員お見合い結婚なんですよ。こちとら、いわばお見合い結婚のサラブレッドなんですよ! いきなり恋愛結婚市場に放りだされるってことはつまり、先代まで代々学者やってたのに、キミの代からは運動選手になったからいきなりオリンピック行ってねって言われるのと同じなんですよ!?
だから、私が結婚してないのは当たり前なんですよね。
何も私が悪いわけじゃない(キッパリ)。
日本古来の伝統にのっとったお見合い結婚が全盛だったら、たぶんそれなりの年頃に結婚して、可もなく不可もなく生きてたはずなんですよ。世間から負け犬とかこじらせ女子とか言われなくて済んだんですよ。いや、直接言われたことはないけど。そもそも、そんな地雷ワードを直接本人にぶつけてくる奴いないと思うけど。
だからね、ここで私は言っておきたい。
私は仮性独女なのだと!
従来であれば、普通に結婚できるスキル、スペックを持ちながら、なんかいろいろあって(ここが問題なんだろうって? 知ってるよ? つっこむなよ?)結婚できない独女たち。それが仮性独女!!
ついでに仮性の意味ものっけておく。
かせい【仮性】
〔医〕病因は違うが、症状が真性のものに類似していること。 ⇔ 真性。
もうね、病ですよ。本人はそうとは思いたくないところなのだけど、政府とか世間的には何か悪い病が蔓延してるみたいな扱いをされてますからね。本人たちもそれに気づいてるけど、見て見ぬふりをしている。ほら、病は気からって言うから!
そうそう、とりあえず婚活録ってタイトルにしてみましたが、いわゆる婚活ハウツーブログでは全くないです。経験談とか期待してた方、すみません。他を当たってください。
そんなわけで、このブログでは私がいかな実証を以て仮性独女という概念にたどりついたか、そんな独女を取り巻く環境はどんなものかを書き綴っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。